2013/2/9

先ほどようやくスタッフの最後の一人が帰宅し、アトリエが眠りにつきました。
昼間、スタッフの一人から「田中英一にとって美しいとはなんぞや?」
という質問をうけました。
それより小一時間ほど前のできごと。
昼食時に女性スタッフがモノ作りをはじめてから手が荒れて手のひらに筋肉がつきはじめたため、きれいではなくなったと談笑していた。
綺麗ではないが美しいと私は感じる。
私に取っての”美しい”は「きれい」「耽美」「荘厳」と「荒廃」「おどろおどろしい」「醜さ」もっというと「禍々しさ」を兼ね備えたものこそが初めて美しいと思います、と質問をうけたスタッフに告げた。
家具も綺麗で行く世代も使い継がれる側面がありつつも、反りやねじれ、そして必ずいつの日か長い年月で風化し徐々に朽ちていく様を兼ね備えているから「美しい」のでしょう。
この考え方は岡本太郎氏の著書から少年期に影響を受けたものですが、未だにそれ意外の考察に巡り会いません。
美しいの概念はひとそれぞれですね。
私は懸命に働くひとの無骨な手のひらを、心から美しいと感じます。

> 田中英一のコトバ