2014/6/28

5歳の息子を東京ネズミーランドに連れて行くか否かで、
最近ことある度にボンヤリ考えている。
生物は外界からの刺激をうけて成長して行く。
幼ければ幼いほど多くの外界の刺激は目新しく、新鮮だ。
まるでジョゼのように、彼らは目を輝かせて手を伸ばす。
この外界の刺激は味覚になぞらえるととらえやすい。
この刺激は何も唐辛子やマスタード、山椒ばかりではない。
マジョラムやローズマリー、タラゴン、ミント、バジルなどの香りも刺激だ。
コース料理の際、どの順番で香りを味わって行くかで受け手の味覚印象が大きく異なってくる。
さて、こどもへ与える刺激は「おとな」の都合か否かで随分と違ってくる。
つまり、「おとな」が「目を輝かせるこども」を見たいからという欲求から与える刺激なのか否かである。(しかもこの事をどうやら瞬時に「こども」は認識しているようだ)
意識的に「おとな」都合の刺激を減らしてみると見えてくるものがある。
その場所は同じ目線の世界観となる。「共感」という言葉が最も近い。
結局のところ、東京ネズミーランドに行くか否かは、突き詰めると私が行きたいか否かを問う事なのかもしれない。
このスパイスのバランスと素材で人生がつくられていく。
もっというと末代まで繁栄されていく物語なのだ。
人生がコースメニューだとすると、私はこれからメインディッシュかな。
この一皿のスパイスは既に何代も前から構成されてきたコースの延長線上に存在するもので、半ば決まっている。
あまりに興味深い事ではないか。

> 田中英一のコトバ