2015/11/2

かつての日本では自然をジネンと発音されていた。
その頃のジネンとは己が廻る場所であり、祈りそのものであった。
ジネンは世界に存在し、内包もしている。
シゼンという言葉が一般的になったのは明治後期と云われる。
外来語のネーチャー、ナチュールを翻訳した際に自然をあてはめた。
本来の外来語におけるネーチャーは自然(外の世界)と人間を客観的に二分する言葉だったようだ。
労働のあり方が問われる記事を良く目にする。
「有給休暇消化」「生涯現役」「ブラック企業」・・・・
資本主義という波が日本に訪れたときから、
仕事と人生は二分された。
まるで、シゼンという言葉の解釈のように。
我々に染み付いている自然の法則からいくと、
人生の中に仕事が入り組んでいて分別しにくい。
観察するに、女性の方が圧倒的にその傾向が強い。
その分、資本主義のルールでの働き方はおそらく酷であろう。
女性が働きやすい職場を考察するにジネンに社会が立ち帰ることが必要であるように思う。
ただ、単純に原点回帰すれば良いものではない。
資本主義のルールで生きている以上、そのルールに従った方が旨味は大きい。
急激に戻すことになれば、それもまた痛みを伴う。
「残業」や「労働時間」という言葉が働く人を守ってくれる。
はずがない。
「制度」があれば安心。
なわけがない。
自然とはオノズカラシカリ。
これは自分自身が「空」の状態であることに近い気がしている。
私を良く知る身近な人には
「英一さんって創造性のある仕事の割に自分がないのですね」
と云われる。
ジネンのあり方を意識しているかもしれない。
そもそもがそうなのかもしれない。
昨日、木の枝に挿しておいた林檎の芯が雨音に濡れている。
いずれ様々な鳥たちの声に帰すのだろう。

> 田中英一のコトバ