2011/8/15
私、田中英一は福岡県北九州市は小倉という町で育ちました。
とんでもない田舎です。
山があり、川があり、海がある美しい場所です。
漁港の町で活気があり、新鮮な魚が市場でキラキラしています。
山の木に登っては木の実をおやつにしていましたし、川にあがってくるカブトガニで遊びながら成長しました。
田園が広がり蛙や虫たちが合唱している、何もないからこそすべてが揃った町です。
そんな町で私が中学生の時、年の離れた妹が生まれました。
彼女をあやし、背負いながら『となりのトトロ』をビデオで何十回も見せていた記憶が鮮明にあります。
時が流れ、現在私はこの三ケ島でモノづくりを中心とした作家活動をさせていただいています。
トトロの森のモデルになった場所だということを後で知ったのですが、これにも何か深いご縁を感じました。
私のモノづくりは長く生きぬいてきた樹木を伐採して新たな命を吹き込む仕事です。
百年の木が、更に百年生きてもらえるような仕事をしています。
そんな木を扱う生業をしているため、森とは密接にかかわって生活をしています。
かれこれ8年ほど森林のボランティア活動もしています。
40年ほど前に植林した国有林が放置され無残な状態になっているので、チェンソーや鋸を使って間伐作業やツル切りなどをしている団体に所属しています。
そんなボランティア活動から学んだ多くのことがあります。
森との付き合い方や楽しみ方。
木々から実は沢山の恩恵をうけて我々の生活がなりたっていること。
反面、その厳しい現実。
荒れ果てた森。死んでしまった土。
そして、いかに林業と呼ばれるものが過酷で、複合的な要因で衰退してしまったという現実。
なぜそのようになってしまったのか。
大きな起点のひとつは経済循環の輪から森や里山が切り離されてしまったことにもあるように思います。
ご飯は薪をくべなくても、電線さえ引けば石油や原子力がなんとかしてくれる。
きのこや山菜は近所にできたスーパーに行けば苦労せずに欲しいときに季節も関係なく購入できる。
樹木は汗をかいて伐採しなくても、他国の安い労働力で伐採した樹木を大量に船につんで、腐らないよう薬漬けにしてもってくればいい。
こんなここ数十年の現状も少しずつですが変わりつつあります。
季節感のなくなってしまった食卓で育った子どもたちは書籍で季節感を学ぶため、魚の切り身が海でとれると思う大人になっても不思議ではありません。
子どもたちの教育方針の一つとして食育が取り上げられ、少しでも一昔前の感覚を取り戻そうとしています。
材木の輸入は産業が停滞している日本に直接流通してこなくなり、その多くが大陸を経由して輸入されてきます。
つまり以前より随分と割高ですし品薄です。
国内樹木の仕入価格と大差が薄れてきており、企業が少しずつ林業に参入してきています。
ですが、我々が目指すところは50年前の暮らしに戻ることではないと感じています。
いや、戻れないでしょう。
とすると我々は根本的な概念をおさえて新たな枠組みを作っていく必要があります。
根本的概念とは、森や里山には経済循環が必要だということ。
いま求められている枠組みとは、NPOや財団などの非営利団体やボランティアと経済循環をしている営利組織などが手を組むことです。
私はここでは敢えてボランティアではなく、あくまで経済循環をしている里山の人間としてトトロの森と関わりたいと思っています。
それはこの三ケ島で生涯暮らしていくからです。
森人が狩りや林業で飯を食うように、海人が漁や観光をして飯を食うように。
私はまだまだ未熟な『里山のプロ』として、この三ケ島で自分の子どもを育て、彼のふるさとを作っていく覚悟です。
かつて私が育った福岡の田舎はすでに見る影もありません。
空港建設により美しい田園は住宅地に、山は埋め立て用の土として切り崩されなくなり、川は木を失った森からの土砂で埋没し、美しい海は空港によってなくなってしまいました。
蛙の声の代わりに車のエンジン音が響きます。月の光はコンビニの照明にとって代わりました。
わたしは未来の子どもにふるさとと呼べるものを残してやりたい。
この里山が関東近縁の人々にとっての心のふるさとであって欲しい。
なにもしないまま、「時代の流れで仕方がなかったんだよ」という説明を未来に対してしたくない。
最後になりましたが、どうぞこれからも我々と仲良くしてください。
そして、一緒に心に残るふるさとをつくりましょう。
楽しみましょう。
願わくば、豊かな自然が“らせん状のみらい”へ続くようにと。
〜「トトロの森へのおてがみ」より