2011/10/13

辻信一さんの「ぶらぶら人類学」を読んでみるの巻。
(発行元株式会社素敬)

遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん

この書籍の中で引用されている梁塵秘抄(りょうじんひしょう)の歌の一節。
辻さんは「ぼくらはぶらぶらするために生まれてきたのだ」とおっしゃる。
「前向き上昇志向といったマインドセットにとらわれてはいけない。下向き後ろ向きであれ。」

これらの言葉を都合よく上面ばかりとらえてしまうととんでもない事になりそうだ。

私の作品を手に入れて頂いたお客様によく伝える言葉がある。
「朽ちてゆく様を楽しんでください」
ヒトだけではなくモノにも寿命というものはある。
もともと生き物だった樹木ももちろん風化する。
文字通り最終形態は風になるのだ。
この風化は一見後ろ向きだけど、これこそが楽しみであり味わいであり遊びでもある。

いわゆる団塊の世代の私の父は高度成長期を事業家として生きた。
前へ前へと突き進み、お付き合いで酒を飲み続けゴルフや接待に東奔西走する彼の背中を見て育った。
高卒の彼は私に経済学を学ばせた。日常会話の多くが経営や経済に関する事だった。
会社は急成長し、全国区となり海外にも進出していた。
親族経営とはいえ大企業の仲間入りである。

ただ、そんななか彼は実の兄の勢力争いの策略にはまり失権した。
培ってきたすべてを失ったのだ。
若かった私の目にはその姿が哀れにも映った。

そんな父が私に幼い時から言い聞かせていた言葉
「飄々と生きよ」
飄々とは足元がおぼつかないさま。つまりぶらぶらせよに近い。

この言葉の意味が最近少しずつ分かってきた。
寄り道を楽しみなさい、脇道を楽しむ事こそが人生なのだから。

辻さんは著書で「むしろ大事なのは、誰もが競争の外側にあるはずの居場所をもつこと。
生産や消費などとは何の関係もない自分を再発見する事」とおっしゃっている。

思えばここ15年ほどの私の行動は真剣な寄り道だ。
どうやっても利益の上がらない木工という道をえらび、
ギャラリー兼アトリエまで建設してしまった。
経済性生産性を考えると踏み込むべきではない道だ。
それに加え、最近は隣接する資材置き場を買い取り、
わずかではあるが里山の環境保全につなげようなんてことも進めている。
こどものワークショップもボランティアに近い形で長年行っている。

でも面白い事にこんな寄り道があるからこそ
沢山の人たちが集まる。
すると自然に生活循環がなされていく。
寄り道からしか生まれてこない事象が沢山あることに気がつく。
気がついたヒトはこの場所を訪れ、関わってくれる。
豊かに朗らかに。
身の丈にあった生活をしていることもあって、会社はいまだ借り入れをしていない。
会社を急成長させる気がないから、借り入れをする必要がないという訳だ。

朝から晩まで連日モノ作りをしていて大変な事もあるけど、
この行為自体が「ぶらぶら」のなかに含まれていると思うと気が楽になる。
願わくば「ハイセンスぶらぶら」でありたい。
『ぶらぶらアトリエづくり』
『トトロの森ぶらぶら』
『ワークショップぶらぶら』
『パリぶらぶら』
『チベットぶらぶら』・・・・
沢山のぶらぶらが私を待っている。
そして、ぶらぶら仲間募集中。

> 田中英一のコトバ