2012/6/21

健康について考える。
「元気で元気で仕方がない!」とおっしゃる先生に先日ワークショップを開催していただいた。
健康と元気と五体満足はちと意味合いがちがってくる。

「あなたは元気?」と問われると少々考えてしまいます。

私は業種でいうと怪我の耐えない製造業ということになります。
実はアートの要素を盛り込もうとすればするほど危険な作業を伴います。
身近な同業者にはまるでドラえもんのような手の人もいますし、
命を落としてしまった方も沢山いらっしゃいます。
私自身も今でも鈍痛がするような怪我を沢山負っていますし、
大きな怪我をした機械を使う時には今でも緊張が走ります。

怪我や病気はしないに越した事ないですし、決して誇らしいことでもありません。
ですが、『モノを生み出す事って基本的には身体の一部を捧げる事』ではないかと感じています。

稲を植えていれば腰がまがってくるし、
樹木を伐採する現場では高確率で怪我や事故が起こる。
その昔、日本の製鉄現場では大量の樹木を燃料に製鉄していた。
作業に関わる沢山の人々が手足や目、命を失ったと聞いています。

そういう事がおこらないために人は開発者や研究者という業種を生んだ。
機械やシステムを作り上げ、安全で退屈なモノ作りの現場をつくりあげた。
ホワイトカラーなんて言葉が生まれて、ほとんどの人々がサポート側の職種にうつる。
身体を捧げなくなった「生み出す人々」は、魂をささげる先を失い、趣味や生き甲斐やお金儲けに意識をシフトさせていく。

現代病といわれる沢山の病気や不調がある。
うつ病だったり成人病だったりも含めて。
それって、ひょっとするとサポート側の人たちが自らの一部を捧げている行為なのかもしれない。

多くの人々がサポート側にまわり、生み出された生活はなんだろう。
同じような町並みと沢山の車。
パソコンと溢れかえるミュージック、刺激的な映像。
そしてそれらを支えるために生み出されたもののひとつが原子力に他ならない。

たたら製鉄で多くの人々が怪我をしたのと同様に、
怪我や病気ではすまされないような不調をあらたに作り出そうとしている。

世界の比率でみると、日本総サポーターでよいかもしれない。
でも本当にそれでいいのかな。
もう少し作り手人口が増えてもいいのでは。
怪我もするだろうけど、サポート側でも一緒だからね。

「あなたは元気?」と問われると
「元気じゃないところも沢山あるけど、それは私が捧げたものだから」
が、今の答えです。

モノを生み出す事自体が深い業なのだから。

(サポート側の職種に専念している方々、気を悪くしたらごめんなさい。
生み出す仕事もサポート側の仕事もしている人間のつぶやきです。大目に見てください)

> 田中英一のコトバ