2012/12/17

「絶望しちゃいけん」
今朝は至る所からため息を聞かされる一日だった。
とある統計によると小学生の70%が将来に絶望感を感じているという。
私のまわりの大人たちも例外ではないようだ。
昨日、オトナノセナカという子どもをテーマとする活動に参加してきた。
子どもというカテゴリーのご依頼を沢山受ける事もあり、見聞を広めるために参加した次第だ。
「こども」を考えていくと、「こども」ってなに?
という疑問にぶつかる。
この世の中の「おとな」と呼ばれる生物は例外なく「こども」という期間を経ている。
「ろうじん」も然り。
誰しもが同じように経年変化をし、この世を去る。
ただ、生きた時代が異なるので考え方や趣向もちがう。
それを「せだい」だなんて世間では呼ぶ。
現代は戦後に生まれた「せだい」がおおむね占めている。
とりわけ、「団塊のせだい」と呼ばれた年齢層は、
圧倒的な数の優位に立ち強い影響力を持つ。
「団塊のせだい」によって、ぼくらは沢山の恩恵を受けてきた。
経済発展し、裕福になり、医療も発達し、まるで描いていた絵本の世界だ。
でもね、私は否定しようと思う。
「違うんじゃないか?」と否定してみようと思う。
銃を手にしようとしたり、人が住む事が出来なくなるような大地を生み出したり。
あらゆる理屈を駆使して説明されてもそのような国には住みたくない。

アインシュタインは「ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットのままで、その問題を解決できない」と言っている。
ぼくらは「団塊のせだい」が築き上げてきた建造物を土台から考え直すべきだと思う。
もう一度丁寧に石を積み上げるべきだ。
それは私が「第二次ベビーブームせだい」だから。
「団塊のせだい」がいずれ去ったあと、次に大きな影響力をもつ「せだい」だから。
つぎの「せだい」に絶望感をいだかせないために
「あいつら前の世代と一緒で、ゴルフやって、吐くまで酒飲んで、税金つかって、マネーゲームしてる」
とか言われないために。
少なくとも戦後に生まれた日本の「せだい」には幸いにも共通言語があると思っている。
「こども」の時代に触れていたヒーローだったり、マンガなどだ。
のらくろ、サザエさん、鉄人28号、仮面ライダー、ウルトラマン、ドラえもん・・・
現在も絶え間なく、わんさかと「こども」たちの前にあらわれる。
彼らは沢山のメッセージを「こども」に残してくれたが、
とりわけ「無益な争いのない世の中で日常を大切に生きよう」と伝えてくれていたはずだ。
「こども」という時代にはすんなりとわかっていながら、どこかで固定観念に囚われ都合の良い解釈を仕始めた「おとな」たち。
もう一度、石を積み上げようと思う。
絶望している場合ではない。
「たった一人になっても希望を捨てるな」とぼくらのヒーローは教えてくれたはずだ。
「おとな」って生き物はもう一度「こども」に戻るべきだ。
不可逆的だから、つい「おとな」は「こども」を否定・操作したがるが、
自身の「こども」に呼びかけてみるといい。
戻れはしなくとも、対話はできる。
わたしのなかの「こども」は絶望していないだろうか。
いまでも希望にときめいているだろうか。
九州でのんきに遊んでいた私のなかの「こども」が言う。
「絶望しちゃいけん」

> 田中英一のコトバ