2014/10/24
なんとも慌ただしい1週間でした。
先週末は上田で恒例の稲刈りをしていました。
テーブルと椅子の制作の依頼も受けていたので、
その打ち合わせもかねて。
稲を鎌でかきとる感触がなにかに酷似しているようで、
それがいったい何なのかが思い出せないでいます。
その直後、祖母の訃報をうけて愛知へ。
高齢ということもあり、ひっそりと身内だけの家族葬。
孫が全員そろう訳でもなく、ごく少数の家族葬。
白炭のようになった祖母の骨は91歳の割には美しく残っていました。
骨を竹箸でつつく感触が何かに酷似しているようで、
それがいったい何なのかが思い出せないでいます。
祖母が50代半ばの頃、
我々兄妹が東京の祖父祖母宅を訪れた際、
別れ際に「もう最後かもしれない」と大泣きしていた彼女の姿を思い出しました。
それが私に向けられたものでない事を小さな私は感じとっていましたが、
それは思い出さない方が良いことなのでしょう。
棺のなかの彼女のひんやりした肌に息子達と触れました。
正月の鏡餅に触る感触と酷似していて、
彼女が正月生まれだったことを思い出したのです
先週末は上田で恒例の稲刈りをしていました。
テーブルと椅子の制作の依頼も受けていたので、
その打ち合わせもかねて。
稲を鎌でかきとる感触がなにかに酷似しているようで、
それがいったい何なのかが思い出せないでいます。
その直後、祖母の訃報をうけて愛知へ。
高齢ということもあり、ひっそりと身内だけの家族葬。
孫が全員そろう訳でもなく、ごく少数の家族葬。
白炭のようになった祖母の骨は91歳の割には美しく残っていました。
骨を竹箸でつつく感触が何かに酷似しているようで、
それがいったい何なのかが思い出せないでいます。
祖母が50代半ばの頃、
我々兄妹が東京の祖父祖母宅を訪れた際、
別れ際に「もう最後かもしれない」と大泣きしていた彼女の姿を思い出しました。
それが私に向けられたものでない事を小さな私は感じとっていましたが、
それは思い出さない方が良いことなのでしょう。
棺のなかの彼女のひんやりした肌に息子達と触れました。
正月の鏡餅に触る感触と酷似していて、
彼女が正月生まれだったことを思い出したのです