2015/5/10

ゲーム機について
「ゲームがほしい」
なんてことをつぶやきはじめた。
小学生らしいひとことである。
さて、ゲームは良くないとか、
いつのタイミングで買い与えようかなど、
巷でよく耳にする。
「購入にあたっては厳しくルールをもうけないと」なんて話もよくきく。
私もルールを作ろうと思う。
1.ゲームに子守をさせない
2.2台購入し父親も一緒にあそんでみる
どちらも親に対するルールである。
1.は子どもができた時から意識し続けていること。
1度でも親の都合でゲームをさせるもしくはさせないという行為を行うと、
子どもはその行為を(大人が思っている以上に)見透かすだろうと推測する。
これはテレビなども同様で、親の都合にあわせたときの子どもの思考を考えてみる。
親の都合と子どもの都合は対等であるべきだ。
これはテレビやゲームを与えてはいけないといっているのではなく、
最善はコミュニケーションツールとして使うことを心がけたいということ。
また、そこまでいかなくてもコーディネートはしてあげたいということ。
1日(1週間,1年)の過ごし方はコース料理に似ていると感じる。
単純に言うと刺激の弱いものから始まって、最後に香りの高いワインとメインディッシュでしめたいもの。
そうしないと素材を味わうような料理(遊び)は味がぼやけてしまう。
メインだけでは退屈してしまう。
この辺りのコーディネートは親の責任だと感じる。
だから、「30分しかゲームをやってはいけない」とかいうルールはあまり意味がないと感じている。
むしろコースを楽しむ流れを妨げるようなら制止させないといけないと思うのだ。
ちなみにこんなこと書くと随分子どものことを考えて遊んであげてるイメージがあるが、逆。
私が遊びたいと感じた時にしか遊ばないし、子ども的な遊びにあわせたりしない。
むしろ大人の遊びにつき合わせたりする。そして一緒に遊ぶ。
接客業ではないのだから、こちらがサービスする必要はなく、ある意味対等だと思っている。
重要なのは
「遊び」は「余暇」ではなく人生そのものの血肉だということを少しずつ学んでいくこと。
私はわたしの「遊び」をたっぷり楽しんでいる。
君がゲームを「遊び」とするのならそういう人生もまた一興。
てなことを、考えていた矢先に彼から一言。
「誕生日はやっぱりドローンを買ってほしい!」
・・・そうきたか。

> 田中英一のコトバ