2015/8/1

「はじまり」を考えてみる。
朝ははじまりの象徴。
「おはよう」がはじまりになるのは、「おやすみ」のおしまいがあるから。
なぜそこが区切りになったのだろう。
例えばそれは昼の12時でも良かったはず。
庭先に蝶が舞う。
卵から生まれ、芋虫となり葉をむしる。やがて蛹となって蝶になる。
交尾をし卵を産む。
区切りが一つに思えない。
蛹の際にも螺旋を一つあがっている気がする。
まるで惑星の動きのように小さな螺旋を日々繰り返し、大きな螺旋を描いていく。
深夜に目を覚まし、ぼんやり外を眺めていると世界がぐにゃりと歪むのはそのせいかもしれない。
ただ、自然(周囲の人々)のサイクルに無理やりあわせて「おはよう」でなくともよい気がする。
意識がぐにゃりと歪めば、夕暮れ時に「おはよう」でよい。
ようやく、すっきりと「おはよう」と云えそうだ。

> 田中英一のコトバ