2017/5/31
「うどん」と「方言」はよく似ている。
自分が生まれ育った方言がしっくり馴染むのと同じように、
生まれ育った地域のうどんはしっくりと馴染む。
方言と同じように、比較的広範囲に馴染みやすい味もある。
例えば讃岐うどんはそれにあたるのだろう。
私は福岡県の小倉出身だが、いまだに小倉のうどんが
世界一だと思っている。
きっと他地域の人に言わせると、のびきっているぞと笑われそうだ。
埼玉に移住して20年近く経つが、
どれだけうまいよと地元の人にうどん屋を紹介されても、
残念ながら美味しいというより先に「個性的ね」というやや残念な
感想が先立つ。しかも、うどんという食に文化と誇りを持っているから、
なかなか対応に困る。
言葉としての方言にとって、主たる目的が「伝達」だとしたら、
食事にとってのうどんの目的は「炭水化物の摂取」だろうか。
いかに栄養を摂取するかという副産物が「おいしさ」だとしたら、
「おいしさ」は遺伝子に組み込まれた歴史だ。
旅で出会う「方言」は心地よい。
でも、それはきっと帰るべき場所の「方言」が待っていてくれる
からだろう。
自分が生まれ育った方言がしっくり馴染むのと同じように、
生まれ育った地域のうどんはしっくりと馴染む。
方言と同じように、比較的広範囲に馴染みやすい味もある。
例えば讃岐うどんはそれにあたるのだろう。
私は福岡県の小倉出身だが、いまだに小倉のうどんが
世界一だと思っている。
きっと他地域の人に言わせると、のびきっているぞと笑われそうだ。
埼玉に移住して20年近く経つが、
どれだけうまいよと地元の人にうどん屋を紹介されても、
残念ながら美味しいというより先に「個性的ね」というやや残念な
感想が先立つ。しかも、うどんという食に文化と誇りを持っているから、
なかなか対応に困る。
言葉としての方言にとって、主たる目的が「伝達」だとしたら、
食事にとってのうどんの目的は「炭水化物の摂取」だろうか。
いかに栄養を摂取するかという副産物が「おいしさ」だとしたら、
「おいしさ」は遺伝子に組み込まれた歴史だ。
旅で出会う「方言」は心地よい。
でも、それはきっと帰るべき場所の「方言」が待っていてくれる
からだろう。