2015/7/10

そもそも私の活動は食とは切り離せない。
同一といってもいい。
「美しい」は「おいしそう」だから。
ところで、ここ2年ほどなるべく食事を残すようにしている。
(飲食店では、もちろん前提としてなるべく食べきれるだけの食事量を注文する。)
「食事を残さず食べなさい」は我々が幼少期からすり込まれてきた教育。
なぜなの?
なぜ、「いただきます」「ごちそうさま」なの?
私はきっと本質まで至っていない。
これらに関する美談はそれこそSNSなどで大量噴出しているが、
おそらく私は本質に触れていない。
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そういえば、初めて韓国にいった際、大量の食材を舞台上で切り刻むミュージカルな舞台をみた。
大陸ならではで、日本人にとっては「もったいない」という感情の方がはじめに来ないのかなとその時感じた。
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我が家では残された食事はしばらく冷蔵庫と食卓を往復し、最後に大きなコンポストに迎え入れられる。
微生物や虫たちが群がり、やがて土に還る。
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飲むのも仕事のうちといい、暴飲暴食を繰り返しながらジムに通う昔の同僚を思い出す。
過剰摂取し、カロリーを消費するために労働対価を消費する。
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食べ残しに強烈に罪悪感を感じる日本人が多くの食べ残しを排出するのはなぜだろう?
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さて、その答えを単に「循環への感謝」「いのちへの感謝」に終わらせたくない。
疑問は次につながる螺旋であり推進力なのだから。
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今日は久々にoffにし妻と買い物、画像の彼と二人でお茶をする。
なぜこの位置にクリームがつくのだろう。
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私は自分が偶然うまれたこの土地の食文化を信じてみたい。
だから、信じる前にきちんと疑ってみたい。
本当にそうなの?
そこをはじまりにしたい。

> 田中英一のコトバ